人間を信じるって難しい - 『Aマッソのがんばれ!奥様ッソ』『SIX HACK』を見た
今さら『奥様ッソ』を見た。
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U-NEXTのリンクって埋め込んでもなんでサムネどころかタイトルすら出ないんだろう?
それはともかく『奥様ッソ』の話だ。以下では内容にふれているのでご了承願いたい。
わたしはこの作品がモキュメンタリーだと知ってから見た。
『奥様ッソ』は後半からあきらかに「作り物度」があがる。
前半は金田朋子が金田朋子力(ぢから)でもって次々にお節介を焼いていくせいで比較的ごまかされていたAマッソの不自然さがどんどん際立っていく。
そもそも前半の時点からVTRの不自然な箇所への言及は避けるしエピソードトークも変なものばかりだった*1のだが、場をかき乱し続ける金田にツッコミを入れることでAマッソはギリギリ視聴者と目線を共有していた (またはそのように錯覚させられていた)。
けれど、後半の田舎移住編になって不自然さがもはや画面ぜんたいから隠せなくなってもAマッソは態度を変えない。*2
なのでどんどんAマッソの2人が不気味に思えてくる。
円滑な番組の進行を妨げない程度にツッコミしやすそうなところにだけツッコミを入れ、エピソードトークはより奇天烈になったり嘘かホントかわからなくなっていく。
それにはリポーターが金田よりは比較的常識人な紺野ぶるまに変更になったことも手伝っている (紺野は金田と違ってあきらかに目の前の異常さに気づいてる)。
「テレビもネットも許されていない、田舎で大麻を育てているような宗教カルトが奉納の儀という大事な日にテレビクルーを呼ぶのは不自然だ」「過去のモキュメンタリーとくらべて目新しさがない」といった感想は、おそらく製作側にとっては織り込み済みだろう。
『奥様ッソ』は「VTRを芸人がスタジオで見ている」というバラエティのフォーマットにたいする批評なのであり、ホラーとしての新奇性はおそらく目指されていない。
異常な状況をありがちなバラエティ番組的仕草で処理することのグロテスクさに気づいてほしいわけで、だからこそ後半は設定も登場人物の演技も臭くなっていくのだろう。親切だね。
SIX HACKも見た
で、同じプロデューサーが関わっているという『SIX HACK』も見た。これは今のところYouTubeでも見れる。
意識高い系を対象としたライフハック番組の体裁をとったおちょくり的内容なのだが、Franz K Endoが担当したAIを使用した映像もあいまって笑いをこえて不安がこみあげてくる。第3回までは地上波で流したとのことだし。
あきらかにふざけている箇所は目につくが、この番組で揶揄の対象にしている人たちは自分に都合のいい部分を継ぎ接ぎして自分だけの最強の自説を構築しているのだから、そこで「ウッソでーす」「冗談でーす」とおどけてみせてもあんまり意味がない気がする。
もしくは製作陣は人間を信じているのかもしれない。「きっとわかってくれるはずだ」と。
そうだとしたらすごいことだ。この番組はネットにどっぷりな人たちがつくってるのに。*3
個人的にはここ10年くらいのインターネット経験によってそこまで人間を信頼することはできない。かなしいね。
いま配信でいっきに見るぶんには問題ないと思うけれど、放送当時はその第3回で打ち切りになってその2週間後に「どうして『SIX HACK』はこうなったのか」を検証した再現ドラマをネットで出した流れだったそうだ。正直この仕掛けはあんまり上品ではない。*4
たしかにそこにも批評性は読み取れる。この検証映像そのものがカバーストーリーであり、テレビよりは自由だと考えられがちなネットも実は変わらないんだよ、とか。いろいろどうにでも考えられる。
ただ、前述したことにも関係するけれど、世の中の人たちはあるコンテンツに最後まで付き合ってくれる物好きばかりではない。
テレビで、ネットで、なんとなく途中だけ目にしてそれきりなんてよくあることだろう。いちいちおしまいまで見て制作側の意図まで追ってくれるわけではない。
別に意識高い系やスピリチュアルな方へ傾いてる人たちだけでなくとも、多くの人が好きなように設定を付与したり無視したりしてアニメやマンガの2次創作をしてるではないか。それでときおり異常なくらい揉めている。
やっぱり最終的には人間を信じるかどうかの話になるのかもしれない。
こういったモキュメンタリーをやるなとは思わない (見栄ではなく本当に思っていない)けれど、「うそはうそであると」わかる人たち向けのコンテンツだよね〜と開き直るのもなんだか違う気がする。番組は必ずしも視聴者を選べるわけではない。
わたしはあんまり創作物を摂取する際に倫理的な葛藤を覚えないんだけど、『SIX HACK』は久しぶりそこで苦しむはめになった。そういう意味では力のある作品なのだろう。